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祖父のこと

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ちょうど二週間前の夜でしょうか。

母から、祖父が危篤で、もう危ないと連絡がありました。


一月に帰った時からもうすでに覚悟はしていたけれど

本当に危なくなった時に連絡すると母に言われていたけれど

やはり、その一報を聞いたときは、胸がバクバクしてしまいました。


そしてその2日後に息を引き取りました。


私は幸せなことに、まだ身近な家族を失ったことがありませんでした。

家族全員に見守られて、みんなが元気で近くにいることが当たり前で

ここまで平和に生きてこさせてもらいました。


前も書いたけど、そんな私にゆっくりと人の死んでいく様を見せてくれた祖父。


おじいちゃんは、みんなちびまるこに出てくるみたいにホワホワしてそうで

現にここ数年のおじいちゃんは、ホワホワしていたものです。

優しくていつもニコニコしていて、あまり話さなくて、すぐ泣いちゃって。


でも、やっぱり違うんだよなー。最後までプライドとか生き力とかそういう

すごく!人間臭い部分が最後の最後まであるんですよね、人間て。


人が年取ったら自然におじいちゃんになるわけではなく

あくまでやっぱり個人の人生の最期なんだなと思いながら祖父を見ていました。


自分が出来ることがどんどん少なくなっていることを

自分が一番理解しながら過ごすっていうのは

本当に悔しくて辛くてしんどいことなんだろうなぁと。


現にデイケアにやおしめも嫌がり

何か出来ないと傷つき、悲しみ。

赤ちゃんのように扱われると怒り。


そりゃそうだなと思いました。


だって、たった数年前まで大人ですもん。

世の中と繋がって仕事をしてきた人ですもん。

老人といえ、人生を重ねた私たちの大先輩ですよね。


私たちが、あぁ白髪が!走ると息が!とかそういう笑い話に出来るレベルでなく

本当にできなくなっていくというのを体感するのは、恐ろしいものですよね、きっと。


私は祖父に会っても、いつもと同じように接しようと思っていました。

赤ちゃん扱いもせず、呆けた老人扱いもせず。

いつも通りに、孫として、昔通りにじいちゃんじいちゃんと。 


それが正解だったのかは分からないけど

いつもと変わらない笑顔を見せてくれた祖父。


大きな笑顔の印象だけが残っています。

大変な介護の中、そうさせてくれた母と祖母にも大きな感謝です。


ほんの数年前に、手先の器用だった祖父が作った船の模型。

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祖父は小6から一緒に暮らしていましたが

いつでも庭に目をやれば鋸とかトンカチを持って庭をうろうろ、何かを作っている。


そういう光景がずっと残っているのは本当に幸せなことだと思います。



今月はそういうわけでして、ブログを書く気力もなかったのですが

もうすぐ4月。 気分を立て直してブログも書いていきたいと思います!


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